理科・地学 伊豆大島巡検合宿
2019.08.13
理科・地学では8月9日〜8月11日の2泊3日で巡検合宿を行い,伊豆大島を訪れました.伊豆大島は,東京新宿から南西に100キロメートルの海上に位置し,南北15キロメートル,東西9キロメートルの火山島で,日本ジオパークに認定されています.今回巡検した伊豆大島の地質を,生徒の様子とともに写真でご紹介します.
8月9日
朝7時に東京竹芝に集合し,東海汽船のジェット船で1時間半.さらにバスに揺られて,10時30分.早朝の集合と船の移動で少々お疲れ気味だった生徒たちの眼前には,長さ630メートルに及ぶ地層大切断面が広がっていました(図1).
図1.ジオパークに認定されている伊豆大島の代表的な露頭.目線の奥まで連続して露出している地層に,生徒も思わず興奮していました.先頭は,今回3日間大変お世話になった,伊豆大島ジオパーク認定ガイドの西谷さん.
この露頭は,およそ2万年前から現在に至るまでの噴火の記録を残しています(Yamamoto, 2017).下位に濃色のスコリア層,上位に淡色の火山灰層,という1セットの層序が1回の噴火を示しており,層序の繰り返しから,2万年間に噴火が100回以上繰り返されてきたことがわかっています.地層がところどころ途切れていたり,湾曲している(図1参照)のはなぜだと思うか,ガイドの西谷さんに問いかけられながら,生徒たちは地質学的考察に頭を巡らせていました.
続いて,島の南部,イマサキとトウシキという場所で,1421年前後の山腹での割れ目噴火(Yamamoto, 2017)による火山噴出物と地質構造を見学しました.タフコーン(凝灰岩丘)や赤いスコリアコーン(スコリア丘)を観察し,噴火当時のマグマと海水の接触によるマグマ水蒸気噴火を示唆するものを見ることができました(図2,3).トウシキ海岸(図4)では,イマサキの延長と思われる露頭を間近で観察しました.
図2.イマサキ.手前から数えて2番目の凹みが噴火時の割れ目やタフコーンの構造があるとされている場所.
図3.とは言っても,伊豆大島の絶景に夢中な生徒たち.
図4.トウシキ海岸.台風が迫っており,海は大分荒れていました.生徒の安全を考えて,あまり海岸近くの露頭には近づけませんでした.
次の見学スポットは,筆島(図5).およそ240万年前以降に噴出したとされ(一色,1984),当時の火道(火山内部における噴出物の通り道)にあった溶岩が侵食に耐え,現在の風景を形作っています.現在の伊豆大島の元となった3つの火山のうち,もっとも古いものとされています.
図5.写真中央部に海面から突き出ている玄武岩が筆島.対岸には50を超える玄武岩岩脈が貫入しているとされる(一色,1984).
筆島から少し歩いて南下すると,カキハラ磯の火山豆石を含んだ地層と,独特な構造のボムサッグ(bomb sags, 図6)を観察することができました.火山豆石は噴火時の水分量を示唆しており,海岸線におけるマグマと海水との接触が想像されます.また,ボムサッグは,8世紀ごろの噴火で噴出された火山岩塊が地面にめり込み下の層の侵食を妨げたことで形成された構造で,当時の噴火の激しさを物語っています.生徒たちも興味津々でした.ここでガイドの西谷さんの提案で,伊豆大島名物のくさや試食会と,火山豆石の丸さコンテストが開催されました.
図6.カキハラ磯のボムサッグ.
初日の締めとして,伊豆大島火山博物館を1時間半見学しました(図7).過去の噴火時の地震観測波形や噴火時の写真など,臨場感ある展示もありました.この日の見学内容が消化不良気味だった生徒たちも,博物館の展示や映像による解説を見て,自分達はどういう地質体に来ていてどういうものを見ているのか,少しずつ理解し始めた様子でした.
図7.伊豆大島火山博物館.
8月10日
この日は丸一日かけて,三原山の登頂を目指しました.まずは路線バスで三原山登山口に到着し,そこから登山を開始しました(図8,9).この位置は,伊豆大島のカルデラ縁,外輪山(外周4キロメートル)に相当し,このカルデラ地形(噴火時に地下の物質が噴出されることで,地下に空洞ができ,火山体の一部が陥没した地形)は1700年前の火山活動で形成されたと考えられています(Yamamoto, 2017).登山開始直後,まず現れたのは,1777〜1778年の溶岩流(川辺, 1998)で,流動性の高いパホイホイ溶岩が形作る縄状溶岩の様子が観察できました(図10).さらに少し進むと,今度は1986年の最新の噴火活動による溶岩流の先端部を見ることができました(図11).登山道の途中には所々,噴火時の避難壕が設けられており,伊豆大島の火山がまさに活動中であることを思い知らされ,安全指導の上での実施とはいえ改めて緊迫感も走りました(図12).その後も,固結した溶岩の内部に存在していた溶岩流が流れ出ることで形成された空洞などを観察しながら(図13),三原山山頂の中央火口を目指しました.
図8.三原山登山口にて記念撮影.カルデラ縁北西部にあたる.
図9.登山開始!カルデラ地形のため,はじめのうちは平坦地が続きます.前方の三原山山腹には,溶岩の流路をはっきりと見ることができます.
図10.固結した溶岩の割れ目から溶岩流が流れ出て縄状溶岩を作った様子が観察されました.
図11.1986年噴火時の溶岩流先端部に登る生徒たち.
図12.噴火時の避難壕.
図13.右手前は内部から絞り出された溶岩流流出による空洞,テュムラス.左奥は固結した表層を溶岩が押しあげた丘,ホルニト(こちらにもテュムラスが形成されており,生徒たちはその空洞を覗いている).このホルニト内部には数10メートルもの空洞があり,顔を入れると10度以上も低い冷気を体感できました.
そして遂に三原山中央火口に到着!(図14)火口内部には生々しい山体断面が露出していて,生徒も感動していました.火口内部の一部からは水蒸気も出ており,活動中の火山であることを実感していました.昼食を挟みながら,左手には中央火口を,右手にはカルデラ縁の向こうに海を臨む絶景の中(図15),三原山の東側を北上していき,割れ目噴火口(図16)を経て,カルデラ北東部の裏砂漠を目指します.カルデラ北東側を進むと,次第になだらかな凹凸地形へと変わっていき,これまでの道程とは様子が変わっていきました(図17).裏砂漠とは,カルデラの北東部に位置する,一面スコリアに覆われた一帯で,国土地理院作成の地形図において国内唯一の「砂漠」です(岡田,2013).噴火の度に植生が焼き払われ,しかも比較的強い風の流路にあたるため,植生もなく淘汰の良いスコリアが堆積している地域になっています(図18).ここまで5時間の道のり,倒れこむかと思いきや,思い思いに自由時間を過ごす生徒たちでした!(図19,20)
図14.三原山中央火口(A火口).
図15.カルデラ内部の平原の向こうには,広大な海が望めました(相模湾や房総半島の方角).
図16.手前に割れ目噴火口(B火口),奥にはここから噴出した溶岩流やスコリアコーン(スコリア丘)が見えていると考えられます(Yamamoto, 2017).左奥に生徒たち一行.
図17.カルデラ北東部,裏砂漠まであと少し.
図18.裏砂漠の表層堆積物.
図19.手前にはシャボン玉で遊ぶ生徒(スコリア表面のガラスの構造色を説明するため).奥には5分間ダッシュで競争する生徒(ギリギリ頂上までは行けなかったそうです).
図20.裏砂漠で記念に一枚.元気そうで何よりです.
裏砂漠からカルデラ縁へと戻る道中には,「再生の一本道」が延びています(図21).1777〜1778年の火山噴火によって消失した植生が少しずつ逞しく回復してきている地域で,火口から遠ざかると,ある距離から外側では急に森が鬱蒼として,植物の生命力を実感できました.また,ゴール地点の三原山温泉の裏山には,833年の伊豆神津島の噴火活動による火山灰層(Yamamoto, 2017)が833年の伊豆大島の噴火活動による火山灰層に挟在する様子も観察でき(図22),最後の最後まで濃厚な地質学習の1日となりました.ちなみに,この日は大島夏祭りで,花火大会当日.夜はみんなで花火を見ながら語り合うのでした…
図21.再生の一本道.一番奥の高まりがカルデラ縁,ゴールの三原山温泉.奥の森林地帯は,1777〜1778年の溶岩流上に生きる植物が生えており,手前の明るい黄緑色の地帯はそれ以降の噴火活動によっても影響を受けてきた植生.両者の境界がはっきりとしており,生徒たちも植生の劇的な変化に気づいていました.
図22.伊豆神津島の火山灰層は伊豆大島全体に比較的均一に堆積しており,833年の重要な指標となる鍵層.写真中央のペンが示している層.
8月11日
巡検最終日.はじめに,西部の元町港近くの溶岩流遊歩道に向かいました(図23).これは1986年の側方割れ目噴火(割れ目C)による溶岩流で(Yamamoto, 2017),伊豆大島の中心地,元町に溶岩流をもたらしたものです.この溶岩流の流下により,当時の島民は全島避難を余儀なくされました.樹木が溶岩流に飲み込まれ,内部だけが消失することで形成される溶岩樹型も観察できました(図24).溶岩流遊歩道を通過して,砂防ダムも見学することができました(図25).伊豆大島は火山島であるが故に,常に土砂災害とも隣り合わせです.溶岩流の上に堆積した火山砕屑物(火山灰やスコリア)や土壌は,降雨の際に容易に流れ崩れてしまいます.また,火山砕屑物は水はけが良いため,伊豆大島の沢は普段ほとんど水が流れておらず,逆に降雨の際には大量の雨水を一気に流下させるのです.実際,2013年には台風25号通過に伴って火山泥流が発生し集落を飲み込み,40名近い方が亡くなりました.伊豆大島で暮らす人々にとって,砂防ダムもまたなくてはならない防災施設なのです.
図23.溶岩流遊歩道.生徒たちは,奥まで歩いて行ったり,溶岩の表面を見たりと,マクロスケールでもミクロスケールでも熱心に観察していました.
図24.溶岩樹型.
図25.砂防ダム.奥に見える山腹には土砂崩れの跡が何本も見て取れました.
その後,島の西海岸にある長根岬を訪れました(図26).ここは,1338年の噴火によって噴出した溶岩流が沢を伝わって海岸にまで到達したものです.侵食されづらい溶岩のみが海上で突き出ている様子に,生徒も目を見張っていました.こちらの海浜公園で昼食後,少し北上して,赤禿のスコリアコーン(スコリア丘)を観察しました(図27,28,29).ここは3400年前の側火山による噴火の噴出物で構成されており,すぐ近くで当時の噴火口と推定されている場所も見ることができました(図30).
図26.長根岬.実は,奥の桟橋も手前の岬と同時に流出した溶岩流で,その自然地形をそのまま生かして工事し,桟橋にしたそうです.手前の長根岬の先端部には柱状節理も見られました.
図27.赤禿のスコリアコーン.鮮やかな赤色は鉄分を多く含んだスコリアが高温酸化したことを示唆しており,火口の近くで高温のまま比較的長く空気に触れていたと考えられます.
図28.赤禿のスコリアコーンを真剣に観察する生徒たち.3日目にもなると調査する姿が様になってきます.
図29.赤禿のスコリアコーンの間を通る生徒たち(観光パンフレットのような一枚).
図30.赤禿のスコリアを噴出したと推定されている側火口.
3日間の巡検の最後に立ち寄ったのは,島の北西部に位置する乳ヶ崎と野田浜.非常に迫力ある露頭で,伊豆大島の元となった3つの火山のうちの1つ,岡田火山の溶岩と,3〜4万年前に海底で開始した伊豆大島全体の成長期における火砕サージ堆積物との境界(Yamamoto, 2017)を観察しました(図31).火砕サージ堆積物はマグマ水蒸気噴火によって噴出されたスコリアを主としており,その厚さからも火砕サージの規模感に圧倒されていました.その露頭から少し南へと歩くと,野田浜の海水浴場から海へと突出した部分があり,パホイホイ溶岩の岩体を観察することができました(図32).ガイドさんによれば,噴出時代や噴出様式はよくわかっていない露頭だそうで,改めて伊豆大島,ひいては火山がいかに未解明であるかを思い知らされました(図33,34).今回,台風接近のためあまり海岸の岩場を歩くことができなかったため,この岩場巡検が楽しかった,という生徒がとても多かったです.手足をフル稼働させて火山噴火の現場を調べることができて,有意義な巡検になったようでした.岡田港に帰る途中,大島牧場に寄って,ソフトクリームを食べて一休みしました.3日間,良い巡検合宿でしたね.
図31.乳ケ崎における岡田火山の玄武岩溶岩(下部の塊状の部分)と先カルデラ期の伊豆大島火山の火砕サージ堆積物(上部の黒色の成層部分,随所に巨礫が挟在している)との境界.
図32.野田浜に露出するパホイホイ溶岩.
図33.野田浜のマグマ水蒸気噴火?と思われる露頭.中央部の赤い部分が当時の火口?
図34.野田浜に露出する当時の火口と思われる部分(右)と詳細がよく分かっていない円状の窪地(左).奥に岡田火山による溶岩が見える(図31の露頭).
謝辞
3日間親身になって,大変丁寧に詳しく解説くださり,そして安全面も幾重にも配慮してくださった,伊豆大島ジオパーク推進委員・伊豆大島ジオパーク認定ガイドの西谷さんに,この場をお借りして改めて深く感謝申し上げます.ありがとうございました.
参考文献
一色直記(1984).「伊豆大島の地質」.地域地質研究報告5万分の1地質図幅東京(8)第107号,55(521.27)(084.32M50)(083),地質調査所(現 産業技術総合研究所),東京.
伊豆大島観光協会(担当:岡田)(2013).「伊豆大島ジオパーク・データミュージアム」.伊豆大島観光協会,東京.http://oshima-gdm.jp/(2019年8月12日閲覧).
川辺禎久(1998).「伊豆大島火山地質図」.1:25000火山地質図10,地質調査所(現 産業技術総合研究所),東京.
Yamamoto, T. (2017). Field guide of Izu-Oshima volcano. Bulletin of the Geological Survey of Japan, 68 (4), 163–175.